アブストラクト
本ケースは、成熟化した国内自動車アフターマーケットの潤滑油(以下、モーターオイル)市場において、今後どのようにして販売シェアを拡大しつつ顧客価値を創造していくかを検討するものである。主人公に日本サン石油株式会社(以下、日本サン石油)マーケティングマネージャーを据え、読み手が彼の視点を共有し、近年、変化の激しい環境の下、拡大が見込めない市場を背景に戦略やマーケティングの立案を考察するケースである。日本サン石油株式会社は、米国でガソリンスタンドサービスステーション(以下、SS)事業をメインとした総合エネルギーメーカーSUNOCO Inc.の日本およびアジア地域を拠点に1966年に設立した。外資系モーターオイルメーカーとしては唯一、国内に自社で技術研究所・生産工場・物流倉庫を有し、2016年で創立50年の節目を向える非上場の国内中堅潤滑油に特化したメーカーである。設立当時、日本は戦後復興と高度経済成長の時期で、SUNOCO Inc.のケーブルオイルや「SUNISO」という冷凍機油が国内でヒットしシェア約100%を獲得して、世の中の時勢に上手い具合に乗り潤滑油メーカーとして成長した。本来、米国のSUNOCO Inc.と同様にSUNOCOブランド事業であるSSを展開する予定だったが、当時の通産省の規制によりSS事業の参入は禁止となった。しかし日本サン石油はSUNOCO Inc.との良好な関係を持続させる為、SUNOCOブランドに参与すべくモーターオイルの事業を国内で展開する事となった。当初、モーターオイル事業は日本サン石油の他事業とは異なり、同業界内では後発で競合も多く、しかもリテールビジネスである事から試行錯誤するものの、ニッチ層をターゲットに絞った製品を上市。その後、拡販のスピード化を優先とし、自社工場を活用したプライベートブランド(以下、PB)品を併売する事により更に拡大していった。その後、2007年にナショナルブランド(以下、NB)品のリニューアルを実施し、ターゲットをニッチ市場から全方位型であるマス市場へ切り替え、更なるSUNOCOのブランド構築と専業オイルメーカーのマーケットリーダーを狙った。しかし、2008年に世界的金融危機が発生し、モーターオイル以外の潤滑油事業への影響が多大となった。その背景から、戦略の方向がNB品からPB品へとシフトし、現時点ではNB品の販売数量がピーク時の50%強まで後退した。また、PB品の主力顧客であるブリヂストンタイヤジャパンも先方の事業不振から落ち込み始めている状況である。一方、アフターマーケット市場では、登録自動車数は横ばいで推移、また軽自動車や小型車の台頭により1台のオイル交換数量は減少傾向である。更に将来的に市場が大きくなると予測されているEVやFCVの量産はモーターオイルの使用が無くなる事は明確である。また、販売チャネルの構造もSS店舗の激減やカーディーラーの台頭など数年間で大きく変化した。日本サン石油は、このような市況でも飽くなき成長を求めており、現在の販売数量、販売金額の改善を望んでいる。これに伴い、主人公のマーケティングマネージャーは、NB品とPB品の狭間でどの製品郡をどのチャネルに注力すべきか判断が必要な立場である。本ケースでは、こうした状況下における日本サン石油とアフターマーケットにスポットをあて、今後の戦略立案、どのようにマーケティングを遂行すべきかについて考察する。
詳細情報
ケースID | 16-1016 |
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登録 | 2016 |
業界 | 潤滑油・グリース製造業(石油精製業によらないもの) |
分析領域 | マーケティング |
ページ数 | 28 |
言語 | Japanese |
ティーチングノート | あり |