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《連載コラム》部長を辞めて教授になったMBA⑬:ゴールドコーストからシドニーへ

先生との身の上相談
誰しも良い成績をもらうのは嬉しいことです。まして、それがお気に入りの先生からなら尚更です。私はProfessor CrouchからもらったDistinctionの評価は、他の先生からもらった時より何倍も嬉しい気持ちになりました。(ちなみに一般的に英語圏での大学の成績はPass(可), Credit(良), Distinction(優), High Distinction(秀)の4段階)
卒業が迫った頃、意を決してProfessor Crouchのオフィス(研究室)に相談に伺うことにします。彼はいつものように笑顔で迎えてくれました。たわいのない世間話の後、「私も先生みたいな大学の先生になりたいんですが・・・。」と相談を持ち掛けました。唐突なこの質問に、Professor Crouchはホウというような表情をした後、ニコニコしながらこう答えてくれました。「Kazuhiko、日本にも働きながら通って、Ph.D.(博士号)を取得できる大学院があるんじゃないか。」「そこでPh.D.を取って、先生になったらいいよ。」「私も退官したらホリデイで日本に遊びにいきたいね。」固く握手を交わした後、私は先生のオフィスを後にしました。帰りの車のなかで、彼がなぜ私に帰国してパートタイムの博士課程進学を勧めたのか考えていました。

次のステップ
卒業が近づくとパーティの機会がますます増えます。それは同時に別れの季節でもあります。世界中から集まったクラスメートは、晴れてMBAを修了し、それぞれ次のステップに移っていきます。勤め先に戻る者、転職する者、帰国する者、起業する者、なかにはクラスメート同士で結婚する者もいました。私のMBAの次のステップはと言うと、考えに考えた末、もうひとつの別の修士課程(MA)に進学することにしました。それは、この先「ビジネスの世界へ進む」ということと、「学術の世界に進む」ということの2つのどちらの道も作っておくための、いわば2足の草鞋(わらじ)を履くことにしたモラトリアムな選択でした。そして同時に『現時点で豪州でのPh.Dコース進学は思いとどまろう。』いうなればProfessor Crouchからもらったアドバイスに対する私なりの答えでした。進学を決めたもうひとつの修士課程とは、ゴールドコーストから南におよそ900キロ下ったシドニーにある大学院での国際学(International Studies)の専攻でした。

陸路でシドニーへ
豪州では、個人間でいろいろなモノが売買されていました。使わなくなったモノや引っ越し等で不要になったモノなどが、学校やスーパーマーケットの掲示板に『Sale』の手造りのポスター等で売り出されていました。豪州では、クルマが必需品であるため、Holden Camiraという地元豪州の自動車メーカーが造った15年前の中古車を、「2~3年乗れればいいや」と軽い気持ちで、コミュニティ掲示板に張ってあった手書きの広告を見て、帰国する留学生から購入して、通学に使っていました。日本ではめったにお目にかかれないような古い(オンボロ)車で、車内灯などの電気系統はほとんど全て壊れ、座席シートの布も擦り切れていました。エンジンをかけたままにすると温度が上がりすぎ、オーバーヒートの恐れがあるので、渋滞時は路肩に一旦停めて温度を下げていました。おまけに走行時には大量のスモーク(白い廃煙)が出ました。そのスモーク(おそらくガソリンと一緒にエンジンオイルが燃焼している)のせいでしょうか、乗るたびオイルが減っていました。そのため一週間おきにボンネットを開けてオイルの残量をチェックし、近所のスーパーで買ってきたモービルのエンジンオイルを足していました。そしてなんと、そのスクラップ寸前のようなクルマでシドニーまで休み休み陸路で3日程かけてPacific Highwayを南下することにしたのです。続きは次回のコラムにて。To be continued. Stay Tuned…

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