なぜMBA教育は「正解」を提供しないのか?
MBAの教員は極端な質問を好みます。例えば「あなたがケースの主人公であったなら、着任早々、部下から報告を受けた10年前の異物混入の疑いを調査しますか?それともそのまま黙認しておきますか?」もしくは「新規事業と考えて買収したITベンチャー企業からの思わぬ業績転落の知らせ、「売却」か「継続」か?」というような問いです。無論、そこに絶対的な正解はありませんし、時として倫理的/政治的な微妙な判断を求められるような質問が飛び出します。
そもそもビジネスにおける「正解」とは何かを考えれば容易に想像がつくと思いますが、経営者の誰もが自分の行動が「正解」だと信じて(もしくはそれ以外の選択肢がなく)決断しているのであって、事後的にその決断が「不正解(失敗)」であったとしても、状況や環境が異なれば結論は変わっていたかもしれません。人によっては情報不足であったと嘆くでしょう。そうなるとリアルな意思決定を学ぶ場としてのMBA教育が目指すのは「正解」を目指す努力ではなく、不正解を恐れない「姿勢」と言い換えても良いかと思います。
逆に、もしビジネススクールの教員が「いわゆる正解」を追い求めようとしたら、ケース討議が一体どうなるか想像してみてください。その講義、面白いですか?