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Harvard Business SchoolでのMBA学生生活

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これまで断片的にハーバード・ビジネススクール(HBS)については、お話ししてきましたが、今回はちょっとまとまって思い出を話していきます。

ハーバード・ビジネススクールに入学したきっかけ

筆者のHBS入学は、結論から言えば会社を辞めようと思ったゴネ得での会社派遣でした。入社10年目のことでした。それまで自分がMBAを取りたいとか、行ってみたいとか一度も思ったことはありませんでした。会社を辞めると宣言して、その引き留めとしてMBA入学を条件提示されました。これまでこのシリーズで偉そうにMBAを目指す価値なんて話をしてきましたが、それは全て後付けです。

そんな具合でMBAの社内での入学資格を取れたのは良いのですが、どこの学校に入学できるかは本人の実力です。やるならばと思い切ってHBSを目指しました。入試はエッセイのみです。他に日本人であればTOEFLの得点が必要です。さらに、もう一つ推薦状があります。実は、この推薦状がとても重要です。筆者の場合、筆者の退職するのを引き止める説得をした取締役が、HBSの3ヶ月のエクゼクティブコースの修了者で、その方が推薦状を書いてくれました。その取締役はHBSでも、とびきりの成績でしたので推薦効果抜群。そのお陰で入学できたようなものです。

ハーバード・ビジネススクールでの学生生活


入学したのは良いのですが、動機は不純、かつ英語もまったくダメ。初回の講義から絶望のスタートでした。

まず、周りが何を議論しているのか理解できない。当然発言はできない。ストレスはたまる。眠れない。悪循環です。それを救ってくれたのがクラスメートでした。HBSは1学年800名。それを9つのクラスを分けて、1クラス90名。1年目は教室・クラス・座席は固定で1年間同じクラスメートと毎日毎日議論しています。その90名のうち下位10%、つまり9名は2年目に進級できずに強制的に放校処分になります。

成績はクラス発言点が50%、残りは期末の試験です。期末の試験といっても、ケースを配られて3時間でレポートを書くだけ。よって、クラスでの未発言は致命的です。このプレッシャーが根底にあって、クラスでの議論は大いに活性化します。常にクラスの半分は発言を求める手を挙げている状態です。講師は次々と指名して発言させますが、それでも話したい時に指名してもらえない学生が続出します。まさに競争世界です。

それまで入学1ヶ月一回も発言していない筆者にクラスメートの多くが気付いていました。ある日筆者が恐る恐る手を上げた瞬間、全員のクラスメートが手を下ろし、机を叩きながら「YUJI  YUJI ・・・」(筆者のファーストネーム)コールです。クラスメートの友情に涙が出ました。そしてやっとクラスで発言できました。

筆者の隣の席は、1年間固定でロサンゼルスオリンピックの近代5種の銀メダリストの学生でした。見かけると構内をいつも走り回っていて、あまり勉強していません。筆者の準備ノートを講義の直前に「ちょっと見せてくれ」と読んで、講義では筆者が話せないのに、堂々とその内容を話すちゃっかり者でした。彼は1年終了時に自主退学して、スポーツ用品の会社を立ち上げていました。新聞に大々的に取り上がられて一躍有名人です。と言った様々な人間がクラスにはいてゴロゴロいて、国籍・職業・資格・・・とにかくバラバラです。学校の方針としてわざとバラバラにしています。まさにダイバーシティーです。

そしてそのダイバーシティーに対して、「あなたはクラスにどういった貢献ができますか?」と学校はいつも学生に問い続けています。これは入学試験のエッセイのテーマでもあります。学校がまさに学生に期待している事柄です。ダイバーシティーが、同じ教室で1年間、喧々諤々、生き残りをかけて、300ケースの議論を重ねている。これがHBS教育の本質です。

そんなHBSで揉みに揉まれてなんとか卒業できた筆者です。正直とても苦しかったです。今考えてももう二度とHBS時代に戻りたいとは思いません。それくらい、勉強しました。でも、良い思い出です。もう27年前のことです。


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