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《連載コラム》部長を辞めて教授になったMBA④:右肩上がりのベンチャー企業

ドブ板営業
当時、電気通信事業は急成長を続ける花形産業と言われていました。時に、「肩で風切ってビジネス街を闊歩する電気通信事業の営業マン」などと煽てられることもありました。他の構造不況に陥っている業種のビジネスパーソンからは、毎年右肩上がりで売り上げを伸ばしていく魔法のような業界に見えるのも無理はなかったのかも知れません。全国にサービスエリアを拡大していくなかで、大きな役割を果たしたものが代理店(取次店)でした。代理店の中には、専業(DDI一社のサービスを取り次ぐ)の名の下、驚くような高額コミッションを得て急成長するところが現れました。彼らの営業力はすさまじいもので、テナントビル一棟ローラー営業をおこなって根こそぎ加入者を募ったりしました。全国にサービスを展開し終わると、今度は他の競合会社のサービスを利用している顧客に、様々なメリットをちらつかせ、自社のサービスに切り替えさせるリプレイス活動が主になりました。なかには、顧客に順に競合3社のサービスを切り換えてもらい、通信業者からのコミッションを稼ぐ、土地転がしならぬアダプター転がし代理店も出現し、業界は荒れました。

入社して何年か経つと、学部の後輩が就職面談前のOB訪問で何人もやってきました。「電気通信事業」「純粋民間企業」「ベンチャー精神」大体のキーワードは、リクルート雑誌で調べてきたのかみな同じ言葉を口にします。「今後、大きな成長が見込まれる電気通信事業で、純粋民間企業だけの出資で設立されたベンチャー精神に富む御社で、是非・・・。」というような感じです。そんな彼らに、私は「現実の営業職は『ドブ板営業』だよ。」と説明します。そして残業の毎日であると告げました。無理もありません、DDIはサービスエリアが全国に広がっていくなかで、「申し込んだが使えない」「代理店に頼んだけどどうなった」などの問い合わせ・クレームが殺到し、毎日その処理に追われていたのです。今思えば、OB訪問の学生に厳しい現実を告げたのは、「先輩に勧められて入社したのに、思っていたのと全然違う。」と後輩に言われたくなかったのかも知れません。

若気の至り
DDIは京セラの稲盛さんが発起したとはいえ、半導体メーカーの京セラに電気通信事業を推進する専門家やノウハウは持ち合わせていません。稲盛さんは当時日本電信電話公社の千田さん(仮名)を引き抜き、専務として陣頭指揮をとってもらう組織を作りました。営業の仕事は、市外電話を安くする「0077」という番号を通常の電話番号の前に付与することを自動的におこなう外付けアダプターを、代理店等を通じて設置するための契約書を結ぶ仕事でした。国の認可によって決まる電話料金では、競合する他の2社との差別化は難しく、ちょうど新聞購読の営業に似た、足で稼ぐ地道な営業が実態でした。当時まだDDIは従業員数もそれほど多くなく、千代田区一番町のビルに営業と技術がワンフロア―で業務をしていました。千田専務はその真ん中で技術と営業の両方のマネジメントをされていました。そんな折、若気の至りで、「いま所属している部署の業務は面白くありません。千田専務の率いていかれる予定の新規事業部へ配属替えしてください。」と直談判してしまいました。「分かった。君の名前は私の頭の中にインプットされたので、動きがあったら連絡が行くと思う。」とその場で応えてもらいました。半信半疑でいた私のところに、実際に新規事業部への配置換えの通達を受けたのはそれからわずか半年後でした。

新規事業部という魅力的な響き
誰でも新しいことに挑戦するということは、ワクワクするものです。大した経験もないくせに、私は水を得た魚のように舞い上がっていました。今思うと、自らの申し出で人事を決めてもらえたという大きな組織ではめったにない厚遇に、いい気になっていたのかも知れません。仕事は、外付けアダプターの機能(α-LCR)を内蔵した電話機を売る際の加入手続き代行を、全国の電器量販店を廻って啓蒙していくというものでした。そして、その販売ルートは、後に展開するPHSの販売ルートに発展していくものでした。当時、PHSは未だ日本では市場発売されておらず、英国での普及の失敗を糧に、日本ではどのように展開していくべきか企画されている途上でした。
それまでの、営業部での「0077」自動付加機能の外付けアダプターのドブ板の営業とは違い、科学的かつドラスティックにビジネスを動かしていく醍醐味を、新規販売ルート開拓の経験で教えられた気がしました。千田専務はその後、DDIポケットの社長、そしてe-Accessを創業をされ、電気通信業界では知らぬ人なしの起業家になられました。続きは次回のコラムにて。To be continued. Stay Tuned…

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