《International Entrepreneurship》
100%英語で学ぶMBAでは、筆者は《International Entrepreneurship》を担当しています。2015年12月に1タームは無事終了しましたが、年々外国人学生人数が増え続けています。4年前に講義を受け持ち始めた時は東日本大震災の影響あって10人くらいの受講生でした。昨年は45名に膨れ上がり、ヨーロッパからの学生が全体の2/3。残りはアジア・米国・南米からとなりました。海外のMBAコースでは、自国外のMBAコースに短期間(最低3ヶ月)学ばないと卒業できない仕組みがあり、日本で学びたいMBA学生は、国際認証を保持している名古屋商科大学ビジネススクールに集まってくる次第です。彼らの主な目的は日本を知りたいということにあります。日本らしい経営を学びたいと思っています。この講義もInternationalとは称していますが、ほとんど日本の起業家を扱って議論をしています。
海外のMBAはノウハウを学ぶ場所。日本のMBAは自分を磨く場所。
講義の中間で、講師に対する改善フィードバックがあります。フィードバックと言っても、海外学生は若いですし(ほとんどが20代前半)、デリカシーを身につけていませんので(日本的な意味での)、相当辛辣な批判があります。その中で本質をついた一言がありました。
「欧米のEntrepreneurshipの講義といえば、市場機会があってそこからどう起業していくのか?を教えるいわゆるハウツーを教えるなのに、なんで筆者の講義は起業家の人間性をメーンテーマにしているんだ?」
なぜ本質をついているかといえば、欧米的な考えでいえば、ノウハウさえ身につければ誰でも起業できる。つまり起業は人生の上では方法論に過ぎないという主張です。一方日本的な考えでいえば、起業は機会ありきでなく、まず起業する人ありきだ。天与の才能とか熟成された経験を持った人間だけがするものだ。起業を学ぶには方法論ではなく、その起業家の人間性を学ぶことが先決だ。という違いです。ゆえに、欧米では雨後のタケノコのように新しい企業が次々に生まれるのに、日本では起業家があまり現われずに、結果企業の新陳代謝が全く進まない。という結果につながってきます。
やや強引に議論を広げると、海外のMBAはノウハウを学ぶ場所、日本のMBAは自分を磨く場所、と言うことだと思います。
このコースは学生指摘の通り、起業家の人間そのものを論じる講義です。一番盛り上がるのは、稲盛和夫社長のケースです。アメーバ経営という経営システムで草の根的で自律的な経営をしつつ、一方で「敬天愛人」のモットーに代表される哲学つまり稲盛イズムを、トップダウンで社員のマインドを一つにする。この組み合わせの妙というか両立が稲盛社長の本質だと思っています。悪く言えばマインドコントロールと言えるこの後者の経営手法に対して、多くの海外学生は徹底的に反発します。
「自分は社員である以前に一人の人間であり、会社の哲学にその心を制約されるなんて考えられない。」
という主張です。ですが、勇気ある少数の反論もあります。
「会社を運営するにあたって、一番大事なのは何のために会社は存在しているのか?だ。それを定義しているのが経営哲学であって、それを信じない社員は会社にいる必然性がない。だから、全社員が同じ哲学を共有すべきだ。」
と主張します。この議論には結論はありません。どちらも真です。
名古屋商科大学の新しい取り組み
職務経験のほとんどない学生たちが、堂々とこの議論を展開するのは壮観です。正直どこまで経営を理解しているのかは疑問符がつきますが、議論の内容はとても立派です。同じ議論を20代前半の日本人大学生に議論させたら、だんまり状態のなるのは確実です。これは、大学院に入る前の教育の違いだと思います。小さい頃からの教育で養われているので、自分で物事を考える力は圧倒的に海外学生の方が高いですね。考える力はMBAの本質です。こう思うと、若き日本人の将来の国際的競争力に悲観的にならざるを得ません。まずは、小学校からの教育内容・手法にメスを入れない限り日本の将来は暗いです。
この考える力にチャレンジするのが、2016年4月からスタートする名古屋商科大学都心型コースです。MBAの教育手法を大学4年間でやってみよう。自分で考える力を養成しよう、という画期的なコースです。筆者も1科目受け持ちます。楽しみですし、小学校から日本の教育を変えるのは筆者の力ではできませんが、これなら日本の将来に少しは貢献できそうです。