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《連載コラム》部長を辞めて教授になったMBA⑧:ノーと言える自分

ノーと言える自分
「ノーと言える日本」は1989年に、80年代の強い日本の経済発展と、アメリカからのバッシング気運の中、ソニーの会長である盛田昭夫と政治家である石原慎太郎によって共同執筆されたエッセイです。アメリカに対しての日本政府の自己主張の弱さへの批判、ビジネスから国際問題にまで日本は他国に依存しない態度を取るべきだと主張したものです。国と国の関係に限らず、人と人、組織と人の場合でもこの「ノーと言える」関係は重要です。どちらかがどちらかに大きく依存してしまうと、「ノーと言えない」状態にならざるを得ません。そうならないように対等な立場に自らの身を置くことが、とても重要なのです。そのためには、組織の中で代替の利かない存在になる(若しくはそれに近づく)ことが肝要です。

角度を上げる 
振り返って考えてみると、若いうちに角度を上げることは非常に大切です。その点では、MBA取得は最適の選択肢のひとつであると思います。私は10年経ってMBA取得に挑戦しましたが、できれば5年程度の実務経験の後にMBA取得するのが理想的ではないかと思います。もちろん、最近は経験年数10年以上を対象にしたExectiveMBAや、企業の役員クラスを対象にしたExecutive Management Programも多く誕生してきているので、MBAの目的も細分化されてきています。
若いうち、というかビジネスの世界に入って初期のうちに、角度を上げることがとても重要だと感じるのは、角度が高ければ高いほど、残りのビジネス人生において高く浮上し、長く遠くに着地点をつくることが出来るからです。低成長時代に競争の激しい世界で、競争相手のMBAホルダーに負けない武器を身に着ける、社畜にならないビジネス能力を身に着けることが重要です。自分とってはやりがいの乏しい、不本意な仕事や理不尽な責任を上司に押し付けられたとき、「ノーと言える自分」を常日頃から琢磨しておくのです。社内の評価ではなく、労働市場における価値の尺度で自らを評価し、その評価を高めるための手段として会社を選べる立場に自分を置くのです。なぜなら、今の会社や上司が一生を保証してくれる訳ではないからです。皮肉にもこれらの苦い経験は、私にとって晴れてMBA取得のために留学を決意した瞬間でもありました。なんとその時、留学を決意して4年、新卒で入社してから10年もの日々が過ぎていました。

跳ばなければ転ばない
何か新しいこと、これまでやってこなかったことを始めるには、いま現在携わっていることを犠牲にしなければならないこともあります。MBA取得の場合、それは、お金(費用)だったり、時間だったり、時に健康や家庭サービスや人間関係だったりします。リスクを取らないでリターンだけを求めることはできません。また、欲張って同時に2つのことを熟そうとすると、両方とも上手く行かなくなることも往々にしてあります。教壇に立つ者の一人として、18才から22才位の学部生と接していると、近年特にリスクを取りたがらない保守的な考え方が増えてきている感があります。とても残念なことです。「転ぶことを覚悟してでも跳ぶことを選択する」ように志を育てる教育が大切です。そしてそれを評価する社会の気運が重要です。MBA取得はリスクであり、同時にリターンです。何もしないでリスクを避けていれば転ぶことはありません。ですが、リターンもありません。そして何より大切な「経験(Experience)」もありません。跳ばなければ転ばずに済むということになります。しかし、短期的にはリスクを避けることで転ばなかったとしても、長い目で見れば、「リスクを取らないリスク」にじわじわと浸食されていきます。時代の変化はいやおうなしに、全ての人に降りかかってくるからです。続きは次回のコラムにて。To be continued. Stay Tuned…

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